暇空茜が天才と言われる所以
水原清晃(みずはらきよてる)
1982年生まれ(2023年40歳)
YouTubeのチャンネル登録者数18万人、twitterフォロワー数25万人
奈良県の名門である東大寺学園中学(偏差値は73)に合格するも高校中退
高校中退後はネトゲ廃人
UO、FF11などハマったゲームでは常にトッププレイヤーだった
セガ、gloops、グラニと有名ゲーム企業を渡り歩く
就職活動ではカプコン、セガ、コーエーテクモから内定をもらう
時価総額100億円のグラニ社に入社しディレクターに上り詰めるも金銭問題で離職
小学校のころにIQテストで理論最高値を出す。
UO(ウルティマオンライン)、FF11などのネトゲにハマるも常にトッププレイヤーに人君臨する。
- UOはasukaサーバーでプレイしtouyaという名前のトッププレイヤーだった
- 攻略本を作ろうと誘われUOの攻略本を6冊書いた
- UOの次にハマったのはFF11でshivaサーバーのAposという名前だった
- FF11では当時のラスボスを日本最速で倒しスクエニと、ゲーム雑誌ファミ通から取材を受けている
- FF11では有名であるためライブカメラで毎日ストーカーされていた
私は暇な空白チャンネルの暇空茜であります。話の前に、もう3つ知っておいて貰いたいことがあります。 私はかつて、touya,apos,空白という名で、呼ばれたこともある男だ。
暇空茜氏が最初にはまったネットゲームはウルティマオンライン(UO)というネットゲーム。暇空茜氏はtouyaというプレイヤー名でプレイしておりUOのサーバーの一つであるasukaサーバーで最強のプレイヤーであったと自身のnoteネトゲ戦記で語っていた。
UOの後にハマったのはFF11で当時のラスボス闇の王を最速で倒したプレイヤーとしてスクエニやファミ通から取材を受けたこともあるそうだ。
何千万円もカンパ集めていることより、この人がFF11で史上初の闇王撃破者だということの方が俺には驚きだわ。俺もあのころを覚えているよ。
当時を知ってる人からするとほんとレジェンドですよね。 あのAposさん!? ってなられる元FF11プレイヤーは多かったかと
暇空茜氏はFF11をAposという名前でプレイしておりTwitterを見ると凄腕プレイヤーであったAposが暇空茜氏だったことに驚愕している当時のFF11プレイヤーも多い。
ちなみにFF11の後にハマることになるブラウザ三国志も常にトッププレイヤーであったと語っており、ハマるゲーム全てで結果を出している。
ブラウザ三国志では面白い逸話がある。
暇空茜氏がgloops時代にのちに裁判で争うことになる谷直史氏とネットゲームの雑談をしていたときに、谷直史氏がプレイヤー自慢を始めたことがあった。そこで暇空氏がブラウザ三国志でも「空白日記」というブログ書いていたという話をしていたらその場で仕事をしていたエンジニアから「空白さん!!??」とビックリされたとのこと。
ブラウザ三国志をプレイしていた時の名前「空白」を知るプレイヤーが一緒に働くエンジニアの中にいるくらい当時有名なプレイヤーだったことが分かるエピソードだ。
ゲームを作るためにSEGAに就職しGloopsに転職
暇空茜氏は大学卒業後にSEGAに就職しその後はゲーム会社を渡りあることになる。
- SEGAでは5年勤め家庭用ゲーム機を作る部署にいた
- 当時暇空茜氏はブラウザ三国志にハマっておりネットゲームの企画書出した
- 部長に目の前で「うちの部署で作るゲームではない」とその企画書を捨てられた(部署が違ったことも理由の一つ)
- 暇空茜氏の企画書を捨てた部長を見返すためにgloopsへ転職
- Gloopsの面接官は谷直史氏(後のグラニ社長にして訴訟被告になる人物)
- Gloopsでは三国志バトルのヘルプを務めのちにディレクターに就任
SEGAでは大手ならではの社風が暇空茜氏に合わないこともありベンチャー企業であるGloopsへ転職。Gloopsは高校の文化祭のような軽いフットーワークが楽しかったと暇空茜氏は語っている。
その自由な雰囲気が暇空茜氏の才能を開花させ次々と昇進し社長にも名前を知られる存在となっていた。Gloopsで実力者と認識された暇空茜氏はGloops入社面接で担当官だった谷直史氏と独立を計画。
「君の才能はこの会社では燻るだけだ、君の為に会社を作ってあげるから一緒に独立しよう」
note:シン・ネトゲ戦記第一話「はじめに」
当時暇空茜氏が担当していた三国志バトルのリリース直前に谷直史氏に独立の誘いを受けGloopsを退社しグラニを立ち上げた。
GloopsではSEGAで燻っていた実力を爆発させる
Gloopsではトイレに社長に出会すと、ケツを掴まれ「聞いてるよ水原くんだろ!すごいんだってな!」と言われるほどその実力は噂になっていた。
大連携!!オーディンバトルの新イベント「ラグナロク」を全て任さされていた。
オーディーンバトルの新イベント「ラグナロク」を大成功させた後は三国志バトルの開発に抜擢された
大手企業SEGAとベンチャー企業のGloopsの違いをシン・ネトゲ戦記第十八話「gloops」ではこう語っていた。
「大手」な会社になると、昔の成功体験や失敗体験にあまりにも縛られすぎて、「新しい」は悪になるんだと思う。
(中略)
口出ししても文句言われないなら、やりやすかったなあ。セガではなんであんなに我慢してたんだろう。アホらしくなって終盤なんて何も考えたことを言わなくなってた。
シン・ネトゲ戦記第十八話「gloops」
シン・ネトゲ戦記第十八話「gloops」
暇空茜氏がSEGAを辞めた理由は三国志を題材にしたソーシャルゲームの企画書を提出したところ上司にその企画書を捨てられたことだ。
さらにSEGAではこれからはソシャゲの時代であることを主張してきたがほとんど相手にされなかった。
新しいものは悪とされる風潮と暇空茜氏の冴える直感とチャレンジ精神は相入れなかったようで、暇空茜氏にとって空気を読まずに、自身の考え方を語れるgloopsの社風は暇空茜氏の才能開花させたのだろう。
暇空茜氏がgloopsに入社したタイミングで「大連携!!オーディンバトル」の新イベント「ラグナロク」が実装に向けて動き出そうとしている段階だったそうだがまだその内容も決まっていない段階だったそうだ。
そこでその全てを暇空茜氏が任されることになりその結果イベントは大成功。
ラグナロクを成功させたことで、gloopsの別のゲーム三国志バトルのチームに参加することになる。
三国志バトルのリリースまでの追い込み2週間という大事な時期に暇空茜氏は風邪を引く
風邪で寝込んでいる2日間、暇空茜氏の出した指示は絶対に変更しないでほしいと念を押すも案の定変更される
風邪を治し出社した暇空茜氏はブチギレ。ディレクターを外すか自分を外せと詰め寄る
ディレクターは外されて実質暇空茜氏がディレクターになり全ての権限を得る
と三国志バトルの開発中にディレクターと同等の権限を持っていた。
オーディンバトルと三国志バトルを立て続けに成功させた暇空茜氏は出世することになったが、後にリーガルバトルをすることになる谷直史氏が「いきなり暇空茜氏をディレクターにするのはまずい」という理由で谷直史氏自身がディレクターに就いた。
実質の権限は全て暇空茜氏が持っていたのだが、谷直史氏がディレクターになったのはインセンティブ報酬が目当てだったのではないかとネトゲ戦記では語られている。
三国志バトルはオーディーンバトルの三国志版で暇空茜氏が入社する前に企画としてあったもの。
暇空茜氏が入社して2ヶ月後にはリリースする予定であったが暇空茜氏が三国志バトルのチームに参加した時点でまだ何もできていなかったという。暇空茜氏の力があって三国志バトルはリリースされ、初動の成功は暇空茜氏のおかげといっても過言ではないだろう。
暇空茜氏が所属していたredという開発チームは後にグラニとしてgloopsを抜けるがその後三国志バトルはgloopsの看板作品となった。
ノーゲームノーライフのモデルになっていると自身は語るが、作者に否定される
ノーゲームノーライフというラノベの主人公の名前と暇空茜氏が当時ネットゲームに使用していた名前が同じであることから暇空茜氏がモデルになっていると話題になっていた。
ノーゲーム・ノーライフ1巻の発売の1年以上前からブラウザ三国志というゲームで「空白」という名前で一位でした。当時の仲間からお前の名前でラノベでてんぞwwと言われました。暇になったので暇をつけました。 https://ameblo.jp/kuuhaku-bura3/entry-11420294336.html… 当時のブログです
暇空茜氏とのーゲームノーライフの共通点
暇空茜氏がブラウザ三国志というゲームで使ったいた名前が「空白」でありノーゲームノーライフの主人公『 』(くうはく)と一致する
天才ゲーマーという設定とブラウザ三国志でトッププレイヤーであった暇空茜氏が酷似している
あれ…俺いつのまに兄と妹に分裂した上で異世界に旅立ってたんだろ
そういう世界線もあるのか…名前が空白の超絶廃人最強ゲーマー
これで偶然というのがあり得るのだろうか…
とりあえずポチってみたので
空白ラノベ化
くっそ忙しいけど気になるし読んでみよう
空白という名前はノーゲーム・ノーライフ1巻が発売される1年以上前から当時暇空茜氏が使用しており、さらにコミュ障廃人プレイヤーと言うキャラクター性も当時の暇空茜氏と似ていたことから、自身のブログ空白日記でも自分の名前がラノベの主人公になっていると記事にしている。
暇空茜氏以外にも『 』(くうはく)の主人公が当時のプレイヤー空白であると思っていた人もいるようだが、
ノーゲームノーライフの作者である榎宮祐氏は否定している。
暇空茜って人は私が昔やってたブラウザ三国志ってゲームの空白ってプレイヤーだったのか、、、 強かったもんなあ(私負けた側) 懐かしいなあ
暇空茜氏は「空白」というプレイヤー名で1年以上トップを走り続けていた。
さらにブラウザ三国志は2012年代では最も人気のあったネットゲームだ。となればネットゲームを題材にしたラノベの作者は当時の暇空茜氏を知っている可能性はあるかもしれない。
SAOのキリトのモデル?
ソードアートオンラインというライトノベルの主人公キリトのモデルは多分、暇空茜自身であるとツイート
主人公キリトの戦法と暇空茜氏がFF1プレイ時に編み出した「スイッチ戦法」という戦略が酷似していることが理由
キリトのモデルはいないと当時の雑誌のインタビューで語っていることが判明
FF11とSAOの発売日が合わない
暇空氏自身はASOのキリトのモデルは多分自分だと話していたが、キリトのモデルはいないと雑誌のインタビューで語っている画像が出回り作者が否定していることが明らかになった。
さらにFF11のリリース時とSAOの発売時期が合わないことも指摘されている。
しかし暇空茜氏はキリトの人物としてのモデルにはなっていないがSAOに登場するスイッチ戦法のモデルは暇空茜氏がFF11プレイ時に編み出したものである可能性もあるとのこと。
暇空がFF11のNo.1プレイヤーで、暇空が生み出したと「される」スイッチ戦法?が強敵を倒すための唯一の手法とされたのは多分事実。なのでスイッチ戦法の元ネタなのは事実だと思う//実際は使ってなかったそうだが
スイッチ戦法という戦い方は暇空茜氏がFF11で編み出したとされ、SAOにも主人公キリトが使用するスイッチ戦法なるものが登場し、それが暇空茜氏が編み出した戦法を元にしている可能性はあるという説明をするものも現れている。
ネットゲームの世界では戦い方など新しい攻略法を見つけるとその攻略法を見つけた人物もセットで周りのプレイヤーに認識される。そのため当時のトッププレイヤーであった暇空茜氏をスイッチ戦法の生みの親として認識してたプレイヤーも多いようだ。
暇空茜の幼少期から天才性がわかるエピソード
小学校では授業が簡単すぎて登校から下校まで図書室の本を10冊ほど屋上に持っていき本を読みまくっていた。そのおかげで卒業するまでに図書室の本をほぼ全て読破
小学校の時にIQテストのようなものを受けた結果、異常値を叩き出したことで親に連絡されてしまった。そして親は「お前は医者か弁護士になれ」と言うようになった
小学校の夏休みは週6の朝9時から夜7時まで塾に通わされていた。
優秀な人間は子供頃に読書に没頭した時期があるというが暇空茜氏も例にもれず読書が好きだったようだ。さらにIQテストで好成績を出せるほど地頭も良かったのだろう。
暇空茜は高校からネトゲ廃人になる
中学校以降はさらに勉強が嫌いになり授業に出席しなくなった
親に殴られることなど親との喧嘩も絶えなかった
父親と喧嘩の際に気絶するまで殴られたことがあり、喧嘩の最中手にした包丁で父親の肩をさした事件を機に高校を中退を認めてもらった
高校中退後ネットゲームにハマるも人生に不安を感じ大倹を受験し近畿大学に合格
中学受験をした暇空茜氏は関西の名門、東大寺学園高等学校附属中学校に進学。
今思えば凄まじいコミュニティだった。一流企業でもそうそうない、その年代のトップクラスの学力しか居ないのだから
シン・ネトゲ戦記 第二話「生い立ち」
暇空茜氏はネトゲ戦記でこのように語っている。しかしPCを手に入れインターネットに出会ってしまった暇空茜氏はネットゲームに没頭し学校をサボるようになる。
勉強させたい親と対立が増え、元々力でいうことを聞かせようとするタイプの親だったことから殴られることも多かったという。ある日、殴れた後包丁を手にしていた暇空茜氏は父親の肩を包丁で刺すという事件を起こす。
彼は殴られ倒した後包丁を持って構えた。父親が刺せるものなら刺してみろというので刺した。刺したと言っても腕のスナップで刺しただけだし、相手も避けたので肩に刺さっただけだった。
シン・ネトゲ戦記 第二話「生い立ち」
当然暇空茜氏もどうにかしてやろうという気はないため傷も浅かったのだろう。事件性はない出来事だったが親に与えた衝撃は大きく高校中退を認めざる得ない事件となったようだ。
高校中退後はネットゲーム三昧の日々を送るがこのままだとニートになると危機感を覚え大倹を受けることを決心する、その際に親は受験費用や大学費用を出してくれたという。
暇空茜氏の特性と親の考え方は相入れないものがあったかもしれないが暇空茜氏の特性を伸ばしてくれたこと。大学の費用を出してくれたり、後に7年にも及ぶことになる裁判費用を出してくれたりと金銭面をサポートしてくれたことなどは感謝していると語っていた。
暇空茜氏がグラニを立ち上げる際に所有していた株は8%
暇空茜氏は裁判に勝ち6億円を手にしたということがピックアップされがちだが、そもそも暇空茜氏は時価100億円近い企業を立ち上げた中心人物である。所有した自社株の価値を考えれば数十億円を手にしていたもおかしくなかったのだ。
暇空茜氏 裁判で6億ゲットした暇人って書かれてたけど、ネトゲ戦記を読む限り時価総額90億のベンチャーの立役者やんけ 初期資金の20%出資してたから、20%株持ってれば18億やん
シン・ネトゲ戦記でグラニ立ち上げの際の資本政策について話し合った当時の話が書かれていた。
- 谷直史氏・・・63%(社長という立場であるため過半数の51%を所有しかつ、コンプラに渡す分の12%を谷直史氏が一時保有するため)
- 2000万円を出資した谷直史氏の友人・・・20%
- 相川雄太氏・・1%
- 暇空茜氏・・・10%
- 入倉孝大氏・・・6%
という割り当てだった。
つまりこの時点での暇空茜氏の割り当ては10%だった。
しかし暇空茜氏はgloops時代からの仕事仲間である入倉孝大氏とは同志であり仲間なので自分だけが10%もらうのは何か違うと感じ入倉孝大氏と同じで良いと申し出てたそうだ。その結果両者ともに8%となった。
ネトゲ戦記でも当時のことを振り返り、
彼はカモで、ネギとガスコンロと鍋と調味料を背負い、カモネギ鍋のレシピを手に携えていた。
note: シン・ネトゲ戦記第二十ニ話「株式会社グラニの資本政策」
と自信を皮肉っているが当時暇空茜氏はとにかくゲームを完成させること。自身の役割だけに集中したくて株などその他のことはどうでも良いと思っていたと語っている。
この資本政策を聞いたメンバーの1人が離脱し暇空茜氏に、
「あなたはもっと株を貰うべきだ、こんな資本政策はおかしい」
note: シン・ネトゲ戦記第二十ニ話「株式会社グラニの資本政策」
と話抜けていったという。
この話は、後で彼がグラニから追い出される経緯を説明した時に、lalha氏を含め、話を聞いた全員から「谷直史さんが悪いのは間違いないが、君もあまりにもカモ過ぎる。」と叱られた。
暇空茜氏がその後相談した人物は総じて暇空茜氏の当時の決断を安易に考えすぎだと叱られたと話していた。
結果としてグラニは大成功、暇空茜氏は独立を共にした相手と裁判で争うということになったが当時はまだ会社としてどうなるかもわからない。神獄のヴァルハラが完成するかも分からず全身全霊をゲーム制作に向けたいというその気持ちは理解できる。暇空茜氏は根っからの芸術家タイプなのかもしれない。
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